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ゆれる

2010年01月06日 18:33

ゆれる (2006) 監督・原案・脚本 : 西川美和



東京で写真家として成功した弟の猛は母の一周忌で久しぶりに帰郷し、

実家に残り父親と暮らしている兄の稔、幼なじみの智恵子との3人で近くの渓谷に足をのばすことにする。

懐かしい場所にはしゃぐ稔。

稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す智恵子。

だが渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまう。

その時そばにいたのは、稔ひとりだった。

                          "ゆれる"公式サイト(ストーリー)より一部引用


兄や姉は当たり前だが、弟や妹が存在して初めてそう呼ばれる。いつしかそう呼称される事に違和感はなくなり、
やがては不思議と兄姉としての"自覚"が生まれてくる。それが兄姉としての使命感が無意識に芽生えた
瞬間だろうか。それからは兄姉は許容と受け身の日々。弟や妹が自分の背丈を超えようがその関係と立場は
変わらない。そんな"兄弟"という確かな事実とその兄弟による不確かな絆を描く物語。
兄としての使命感が弟への劣等感に振り子の様に揺れ動く様を見事なまでに表現、描写されている映画だ。

"曖昧な絆"

家族ではあるが親子程に絶対的な愛情ではない兄弟の不思議で曖昧な関係性。
勿論、分断できない間柄と愛情は事実として間違いなくそこには存在している。そんな曖昧ではあるが逃げ場の
ない関係性が兄弟であるという事をこの映画を見て再認した。劇中、一人の人間としての自尊心が兄でいる事を
かなぐり捨てる稔の感覚は、確かに何処かで感じていた様な気がして堪らない気持ちなる。


"誰の目にも明らかだ。最後まで僕が奪い、兄が奪われた。

けれど、全てが頼りなく儚く流れる中で、ただ一つ危うくも確かに架かっていた、

か細い架け橋の板を踏み外してしまったのは僕だったんだ。

今、僕の目には明らかな風景だ…腐った板が甦り、朽ちた欄干が持ち堪える事があるだろうか。

あの橋はまだ架かっているのだろうか"


脚本自体に隙がないと言えば嘘になる。(腕の傷などやDNA鑑定など) ただ、それでも自信を持ってオススメ
出来る映画の一つ。因みに賛否あるであろう見る側に判断を委ねるボカシのあるラストシーンについては
リンクの特別対談 : 伊坂幸太郎×西川美和 "物語の解放"を読んでほしい。

余禄 : 早川 稔 / 兄を演じる香川照之の振幅の大きい芝居はまさに役者とは何たるかを見せつけられた感が
あるこの役者が魅せた好演がなければ間違いなくこれほどまでに心の振り子は揺れてなかったと断言できる怪演。


< External Link >
公式サイト : ゆれる
Wikipedia : 西川美和
Wikipedia : 香川照之
ポプラビーチ : 特別対談 / 伊坂幸太郎×西川美和
Flower Wild : イメージを紡ぐエクリチュール 『ゆれる』 西川美和監督合同インタビュー
Video : 映画 『ゆれる』 主題歌 カリフラワーズ 『うちに帰ろう』

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