スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Excessive Response  障害者 → 障がい者

2008年12月02日 20:45



予防線を張るわけではないが、ここからは極めて私見一存によるものだと云う事を御理解頂きたい。


『 害 』 → 『 がい 』

戦前の「不具者」から「障害者」への表記呼称の変遷とは明らかにケースが違う気がするのは私だけだろうか。
一言で言えば、過剰反応がもたらす偏見。障害者と健常者というザックリとしたカテゴライズで言えば、この動きは後者にしか思いつかない発想だろうし、なにより不自然、且つ平仮名表記にしたところで何か本質が変わる事があるのかと率直に思う。

不備や欠損のないところに過剰反応すれば、火のないところにも必然的に煙がたつ訳で、そんな煙は、
瞬く間に風に乗り、ある種の風評として一層の誤解や偏見を助長してしまう。 つまり問題視する事事体がすでに問題であり、過度な受容が「障害」そのものを「不幸」と変換し、これそのものが蔑視に繋がっている様に思えて仕方ない。身体的な欠損による「障害」よりも、この様な第三者による過度な受容こそが障害者にとって、生きていくうえにおいての根の深い「障害」になっているのではないだろうか。ノーマライゼーションの実現にはまだ時間がかかりそうだ。
 


『 障害は不便ではあるが、不幸ではない 』

この言葉は、自らも重い障害を持ちながら、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に従事してきた
ヘレン・ケラーが残した言葉。

当然、全ての人がそう言いきれる事でもなく、私自身もどれだけ考えても理解するまでには至らなかった。

明晰に欠ける理由になるが、率直に言うと私には身体的欠損においての障害がない。
即ち健常者であり、自分自身が障害者ではない為にこの様に不幸でないとは言い切れないところに理由がある。 ただ、この言葉通りにナチュラルにその様にシンパシーを感じる事ができれば、障害者を取り巻くこの国の環境が正常だと言う最も明確且つ、ピュアな答えになるだろうと思うし、そうなる事を切望すると同時に日々の生活においても意識をしっかり持てるようになりたいとも思っている。



『実態の不透明な不可視的問題』

障害者を取り巻く環境や世界は、表面的には把握は出来ても、実情までは直に触れる機会がない。、
その為に、偏った愚考や、その実態までをタブー視する風潮が未だに存在している。ココで簡単ではあるが、その紹介と専門的なサイトを掲載しておきます。


セックスボランティア ・・・・ 自慰行為または性行為などの性的欲求処理を困難とする障害者の性の介助

熊篠邸の地下室 ・・・・  熊篠慶彦さんによるバリアフリーな風俗店の情報を発信する自身のHP 

累犯障害者 ・・・・ 虞犯・犯罪を繰り返す障害者 

 
スポンサーサイト


Latest articles


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。