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THA BLUE HERB / 3 DAYS JUMP ( 2001年地球の旅 )

2009年02月19日 20:00

前エントリー 「時代は変わる part1」がセルフボースティングの最たるモノだとすれば、そのおよそ1年後にリリースされた「3DAYS JAMP」はその姿勢の対極と云える内容に正直、驚きを飛び越え、戸惑い感じざるを得なかった。

「3日後に飛んでるとこはどこか?」  「もう何時間もただ天井を見つめている」

「このベッドはまるで退廃の棺桶」   「祈れ 遅れず言葉に飛び乗れ」

「何時間も同じラインを動けず だからといって今日もノートを離れようともせず」

「今日中に見つけなくてはならないよ  今日中に終わらせなくてはならないぞ」

「その日はかわらずペンはといえば進んだり戻ったり 気まぐれに踊ったり そうかと思うと突然怒ったり
自らの無能をいまさらのろったり 言葉を真白い壁にぶつけている イライラをおさえきれずにふるえている
そしてかわらずオレはそれにせかされ 手をこまねいてるうちに今日が暮れてく」






一聴すると内容のないタダの大麻吸いの管巻きと切り捨てる人もいるが、BOSS本人が云うところの「ラッパーたるものってやつにこだわるぞ」の体現だと私は解釈している。良きも悪くも生臭いまでにリアリティーを感じ、苦悩をありのままに描く。もがき苦しみ、すがる事すら辞さない姿勢で絞りでたフレーズ全てが模範解答とは限らない事を偽りなくリリックにした曲だ。一語でリスナーを置き去りにするパンチラインを描くBOSSもいれば、この曲の様に産みの苦しみを憚らず唄う事もある。そんな彼の振り幅の大きさも魅力の一つだろう。

これもそうだが、THA BLUE HERB の作品は時を経て心象の変化をリスナーに与える事がよくある。
前述した「戸惑い」はその後の2ndアルバムの布石となり、それを聴くにつれ「心地よい疲れ」となる。聴き手をリードする事においても彼らに抜かりはない。


最後にBOSSがこの曲について・・・

「3 DAYS JUMP(2001年 地球の旅)」です  今回はその曲のみ これは ま 旅じゃいろんなこと思ったんだけど その内の3日間の出来事
12月30日から 31日 そしてあけて1月1日の3日間のなかで 俺の 思考の中で起こったこと ま 俺が 思ったことです
1日に1バースずつ書いていったので もちろん書いてる俺も 30日には 31日に何を思うかは 知らないし
31日には 明日1月1日に 何を思うかは 知らない  そんな曲です 




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THA BLUE HERB / 時代は変わる part 1

2009年02月16日 19:36

その他のアーティストよりも断トツに聴いているはずなのに何故かレビューする事に躊躇いが生じてしまう。
以前ココのエントリーでも書いたが、レビューを必要としない非凡なアーティストは処方箋や説明書などは破り捨て、云わば無防備で耐性のないまま服用する事をお勧めしてきた。





不可能をつかもうとしているプロテスタントに 
そのまま時代は来る未来を託すだろう
息もつかさず山積みのプランを済まそう 
長い苦難の道いつも唇には歌を
瞬間をかぎわけたたった一発にかけろ 
古ぼけた馴れ合いには風穴をあけろ
オマエの力はオマエの自身で確かめろ 
オマエのための時代ならオマエが変えろ

必ず時代は変わる いつだって追う者は追われるものに勝る
相も変わらずスローモーションな大御所ひき離すサラブレットがついにあらわる

時代は変わる いつだって追う者は追われるものに勝る
相もかわらず肺と大脳を働かす 平岸にはシーンの3年先がある

時代は変わる いつだって雑音だまらすにはひとつ行動で表す
エントリーの一手目から2年半がたつが 読み通りそろそろすぐに今にわかる
           
         時代は変わる



好きな歌 = 前向きでポジティブソングとは限らない。むしろ、私の場合は心に残る歌に限って、心の闇を唄い、バカ正直で泥臭い歌を好む傾向にある。
人間は脆いが、その脆さに直面しても倒れずに戦う強さを持ち合わせる。そんな事を珠玉のメタファーを駆使し唄うアーティストがTHA BLUE HERBだと思っている。
この「時代は変わる part 1」は恐ろしいほどに前向きな唄だと認識していたが、このリリースから2年後の2ndアルバム「sell our soul 」を聴けば、それは見当違いで「確信的」という言葉が頭を揺らぐだろう。


最後に「時代は変わる part 2 」から・・・

時代を変えたいっていうオマエの意見には大いに賛成だ。
思う、考えるということは大切なことだ。
だが、これだけは覚えておいたほうがいい。
遠回りや屈辱は一生続くし、 孤独はオマエと幸せの間に割って入り込む。
成し遂げた後も痛みは無くならないし、楽園にも影は差すんだ。
革命家に従うのでもなく、敬うのでもなく、 自分を革命家と思わない限り、戦いに自分への負い目が出てくる。

本質は変わらない。

黙ってても時代は変わるから、参加しないことは別に罪じゃない。
そのかわり後悔を残すなよ。
時代を変えたいって? それは結構なことだ。
そのかわり後悔を残すなよ。
オマエの女や子供や孫に、オマエ自身に。
人が年を取るのと同じスピードで、早く遅く時代は変わる。
革命が覚めることほど残酷なものはない。
俺に最後までついてくるのは俺だけだし、 オマエを最後まで見捨てないのも きっとオマエだけだ。


それぞれが、それぞれの、生活を見つめろ。
眼鏡もかけず、目隠しもせず、むさぼるような眼でもぎ取ることだ。






THA BLUE HERB : AME NIMO MAKEZ

2008年06月26日 21:00

まず、本題に入る前に・・・・。
本当はこのブログを立ち上げた時点で真っ先に紹介すべきアーティストだったのかもしれません。何故なら、このアーティストが放つ言霊が私に与えた影響力があまりにも大きい。それが故にあえて敬遠の対象になる事があります。それは何故か・・・・・・・?
答えは単純。 これだけ強烈な言葉を目の当たりにすると返す言葉が見当たらない。
彼らの音は残酷にも無力さや無知で凡庸な自分自身を再確認させられる事があります。

垂れ流し出来るような単なるイージーリスニングではない。多少の身構えの必要な極めて異色なアーティストの類になります。

THA BLUE HERB : ame ni mo makez / live at core tokyo1999.5.2


THA BLUE HERBの初期の頃の音源になります。
この頃は「自分VS自分以外の●●」的スタンスのリリックが主体だった様な気がします。
そんなスタンスの中、この[ame ni mo makez]は他の誰に対してでもない、。自分自身に対しての歌。自分を高ぶらせ、鼓舞するかのようなリリックが印象的でした。

そして今日、一番伝えておかなくてはならない事・・・。
このTHA BLUE HERBの最大の魅力はLIVEです。
CDやレコードには存在しない、凶器を目の前にしたかの様な雰囲気と空気感。
そんな現場の中を駆け巡る幾多の言葉が脳内の許容を超え、心地よい疲労感に苛まれた時、まさにそこが、彼らのLIVEの妙。オーディエンスの着地点なのです。

この映像は1999年にcore(tokyo)にて行われたライブ映像。
そのLIVEのオーラス、AME NiMO MAKEZの終いにBOSSが言葉にした宮沢賢治の詩を書いておきます。

お前の鳴らしたバスの3連音が果たしてどんな風に鳴っていたか、
おそらく、お前は分っていまい。
その純朴さ巧みに満ちた音の楽しさ、まさしく俺を草葉の様に震わせた
お前のその音の特性や無数の立派な順列をはっきり知っていつでも使えるのならば、
お前は辛くてそして美しい天の仕事もするだろう。
だが、丁度今頃お前の年頃でお前ほどの素質と力をもっている者は町と村との1万人の中になら、おそらく、5人はいるだろう。それなのに人、またどの人、どの人も5年の間にそれを無くすのだ。
仕事の為に削られたり、自分でそれをなくすのだ。

今のお前の力が鈍り、綺麗な音が正しい調子とその明るさを失って、再び回復する事が
ないのならば、俺はもうお前を見ない。何故なら、俺は少しくらいの仕事が出来て、それに腰掛けている様なそんな大勢を一番嫌に思うからだ。
今の俺の力が鈍ったら、いつでも俺を見なくても結構だ。――――

お前が一人の女を想うようになるその時、
お前が一人の男を想うようになるその時、
お前が「生きる」とは、「死ぬ」とは、「起ちあがる」とは、「掴む」とは、
「潜る」とは、「浸る」とは、何かそれを考えるようになるその時、
お前の前に無数の影と光の像が現れる。お前はそれを音にするのだ。

みんなが1日町で暮らしたり、1日遊んでる時、お前は一人で寂しくあの石原の草を刈る。
その寂しさでお前は音を創るのだ。多くの侮辱や窮乏を噛んで歌うのだ。
沈黙をする事を恐れずに歌うのだ。――――
                


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