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色褪せるメダリスト  石井 慧

2008年09月27日 07:00


「鬱でも金」・・・・・・・・石井 慧

どうもこの手のボンクラは好きになれない。
あまりに稚拙で滑稽、且つ脳タリン。どこで帯を落としたのか。見つけ次第届けてあげるのに。

少しばかり古い考えなのかもしれないが武士道に通ずる者としての礼節、振る舞いが全く感じとれない。あくまでテレビという媒体を通してでの印象になるが、まるで地方興業でのレスラー並み。(レスラーが良くないという意味ではない。レスラーはあれが仕事) あえてもう一つ加筆すると、よく喋るわりにはユーモアのIQが極めて低すぎる始末。

一方、マスコミに踊らされているという見方もある様だが、私の見解は少し違う。
一方的に踊らされているのではなく、双方が自発的に踊っているだけ。つまりは利害が一致しているという事。彼がどんな画策を描いているかは私の知った事ではないが、マスコミを通して意中の人間(関係各社)にアピールするには恰好の場である事は言うまでもないし、何より居心地が良いのでは。ココまではあくまで私の推測だが、あの様な言動に何らかの意図がないと言うのなら、本当の意味でボンクラと言える。
マスコミというのは「旬」や「食い時」を逃す事なく、温かいうちにご馳走を食い漁るのが仕事。旨味がなくなれば味がなくなったガムの様に行く先は決まっている。そんな結末も知った上でカメラはフォーカスされるし、マイクを向けられる。あっ、そういえばスノーボードのラップ姉ちゃん何処いったんだろう?

虚飾のステージで踊る両者。それを冷やかな視線で嘲笑う世間。やはり世はバランスなんだ。


 



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働くおっさん劇場[2] 野見×浅見

2008年09月19日 14:00

            前回に続き「働くおっさん劇場」から


   第19回 テーマ 「デートの達人という新人おっさんから恋愛必勝法を学ぶ」

     この働くおっさんシリーズで最もギリギリなマッチアップ

                 野見 × 浅見 (新人)





                    吉原上等

             満を持しての「アタックチャーンス」

             やっぱり好きです野見隆明の世界

働くおっさん劇場 [1]

2008年09月18日 02:35


「働くおっさん人形」から3年「働くおっさん劇場」として帰ってきたおっさん教育バラエティー
(2006,10~2007,3)

もう1度、あの野見さんの笑顔が見たくて・・・・。

今回はその中でも、私の最も好きだった回を紹介します。

第13回 テーマ 「ワンランク上のおっさんは自分の得意分野を優しく時に厳しく教え、そのギャップで女性をオトす」






恒例となったタイトルコール     アメリカで流行っているネイルアート

ナイトフィバーのステップとレッツラの掛け声      妙に多趣味

タイで出会った女性と友人の社長    ボーリングのハイスコア258・・・・・。


               底を知らない野見隆明の世界・・・。 

25年後の磯野家

2008年09月15日 15:35

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江崎グリコCM 「25年後の磯野家」



これを見た波平なら、きっと「バカモーン」と一喝しているに違いない。いや、正確に言えば、
そうであってほしいと思う私の強い願望。

CMのコンセプトはその名の通り 「25年後の磯野家」らしいが、
見事な程に的外れなキャスティングと、ピンボケした設定。個々の演者だけを見れば、
話題性、認知度、支持力は抜群だが、その一方で食べごろな演者を短絡的に配役しているに過ぎないという印象もたぶんにある。「それがCMだよ」なんて言われれば、ココに記す事は無くなってしまうのだが・・・・。


「あくまで夢であって、想像だけでのモノ 決して叶えてはならないし、正解もない」


そもそも内容は度外視しても、「サザエさん」の本来あるべき姿は昭和40~50年の古き良き日本の家庭像。カツオは一生丸刈りの5年生でワカメもオカッパの3年生のまま。
四季は移り変わっても時が進む事はまずない。

カツオが反抗期を迎えるとすれば、それは私達の想像での出来事だし、

ワカメが初潮(初経)を迎えるのも、同類の事。

あえて成長しない背景にしたのは、不変的な日常を描く事によって、安心感を与えると同時に、「その後」における余白のページを作者が意図的に私たちに与えてくれたのではないかと私は思う。
観ている人間のそれぞれが「その後」を想像し、最も大事なのは頭の中だけで、その「夢」を具現化する事。
それを逸脱し、このCMの様にはっきりとした輪郭をもって世に流布すれば、その時点で「夢」ではなくなる。これ程寂しい事はない。


「二次元 → 三次元」

どうしても気になるのが、マンガから実写へのここ最近の当たり前となった風潮。
手間と時間だけをかけて不味い料理を作る新妻の様に、無駄だけが浮き彫りとなるケースが多い。そのうち、ほっとけば「ドラえもん」さえも実写化しそうな勢いがある現状に背筋が凍る思いだ。

斎藤和義 : 歌うたいのバラッド

2008年09月05日 23:00


悪事を働けば、その倍となって自分に災難が反って来る様に・・・・。

愛する人が無意識のうちに夢の障害になっていると気づいた夢追い人の様に・・・。

夏になるとアナタの町に稲川淳二がやって来る様に・・・・。


それは偶然を装った必然的な事情。そんな心理が働きかけたかは別として、
私にも、12ヵ月、365日中に必ず、単発的ではあるものの、聴きたくなる歌がある。



斉藤和義 : 歌うたいのバラッド



私には例え愛する人でさえも、「愛してる」なんて恥ずかしくて口には到底出せない性分だ。

だから、この歌に出てくるフレーズの一つ一つが羨ましく思える。


               本当のことは歌の中にある
            いつもなら照れくさくて言えないことも

         今日だってあなたを思いながら歌うたいは唄うよ
       ずっと言えなかった言葉がある 短いから聞いておくれ

                    「愛してる」


時として「歌」は自分の性質と裏腹な代弁者となって、相手の心に届く伝達手段となる。

今の自分を投影しているかは別として、間違いなく私の中の「勝負ソング」だ。



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