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 泰葉 - Life's A Bitch -

2008年10月29日 21:15




別にココに記す程の事でもないけど、あまりのヨゴレっぷりに・・・・・。

前代未聞の金屏風離婚会見から始まり、まさにトラブル業を稼業に仕様もない爪痕を残す彼女。
この会見に至るまでの時系列など知ったこっちゃないけど、彼女を見てると戦慄が走るのは何故だろう?

ある種、サービス過多なエンターティナーとも云えるけど、見方は様々で
少なくとも私には、自作自演の不幸自慢を売りにするストリッパーぐらいにしか見えない。

愚直気ままな性分が彼女の魅力 なんて解釈もあるかもしれないけど、
正直、この人に共感、共鳴する人ってどれ位存在するんだろう?

またこんな事を言うと女性蔑視なんて言われそうだけど、こんな会見って女性でしか成立しないでしょ。

受難自慢  →  お涙エンディング


終結会見の終いはお馴染みの自虐なぞかけで、

「 終結会見とかけまして、これからの泰葉と解く、これが本当の小朝いらずじゃ 」 以上です。だって・・・・。


それではお口直しに50人抜きで真打昇進 全否亭トラビスより。


「終結会見とかけまして、パイプカットと解く、そのこころは・・・・・・・やはりチョッキンできません。

お後がよろしいようで・・・・。








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ごっつええ感じ  「浪漫ポルノ」 「料金所」

2008年10月16日 20:00




「 浪漫ポルノ 」




「 料金所 」





苦情や縛りが今ほど厳しくなかった時代のコント。翌日、月曜日の学校ではコノ話で持ち切りだった。

「あの頃は良かった」などと嘆いても仕方ないが、だからこそ、この頃が輝いて見えたのも事実。


コントも、もはやこの番組では定番のアコギな商売する老夫婦の設定。


アメリカンポリスで撃沈です。



一人ごっつ 「タイムスリップショッピングダンス」

2008年10月11日 20:00



新・一人ごっつ 「 タイムスリップショッピングダンス 」 1997. 11/19 OA



まさに一人妙味に尽きる計算し尽くされた企画

極力無駄を省いた設定

AVのサンプルムービーで使われそうな安っぽいビートと確信的な編集(カメラスイッチング)

何故に外国人なのか?という妙な余情

どことなくエキゾチックでジャンルレスなダンシング

「物価について考える」という社会的テーマからの反動


この発想に至った経緯すら気になって来る。当時ならではの松本氏の意地を感じる。
番組のエンディングの通りで私も賢~くなり~たい~、賢~くなり~たくない~

The Giving Tree : おおきな木

2008年10月10日 20:00

「本」を手に取る事は滅多にないが、久し振りにある「本」を勧められて読んでみた。「本」と言っても「絵本」

読後感を問われて・・・・・・「解釈の余地を充分に残したままに、決して断定はせず・・・・」

読んでその場の返答はそんなどっちつかずの解釈にとどめた。読解力の有無などという話ではなく、
この「本」事体に正解など無いし、捉え方は自由。そんな事は読んですぐに分かったが、何故か自分なりの解釈を素直に言う気にはなれなかった。


ここまで言っておいて申し訳ないが、身構える事のない様に是非、無防備で読んで欲しい。




少年が幼い頃、木と少年は毎日仲良く遊びました。          


少年は、枝にぶら下がったり、幹に上ったり、りんごを食べたり、かくれんぼをして遊んだり
そして、疲れると木陰で眠りました。少年は木が大好きでした。木はとっても幸せでした。
     


でも、少年が成長して、次第に木は一人ぼっちで居る事が多くなりました。

ある日、少年は木に、「 他の遊びをしたいからお金をくれ 」 と言いました。

木は、「 お金は無いけれど、私のりんごを街に持って行って売ればいいよ 」 と言いました。

少年はりんごを全部採って行きました。     

・・・・・・・・・・木は幸せでした。
           

でも、また少年は長い間来なくなりました。・・・・・・・・・・木は悲しくなりました。

     そんなある日、また少年がやって来ました。

木は 「 おいで、ぼうや。私の幹に登っておいで。一緒に遊ぼう。 」 と声をかけますが、
       


少年は 「 忙しくて、木登りしている暇はないよ。 」 と言って断ります。

「 それより家族が欲しいんだ。 だから家をくれないか? 」 少年は言いました。

木は 「 私は家は持っていないから、私の枝を切って家を建てるといいよ 」 と言いました。

少年は、枝を全部切り落として、持って行ってしまいました。

・・・・・・・・・・木は、幸せでした。

でも、それから長い間、少年は帰って来ませんでした。


彼が帰って来たとき、木はとても幸せでした。

そして木は、 「 おいで、ぼうや。一緒に遊ぼう。 」 と声をかけましたが、

彼は 「 僕は歳をとりすぎたし、悲しくて遊べないよ 」 と言います。

「 どこか遠くへ行けるボートが欲しい。 ボートをくれないか? 」 少年は言いました。

木は、「 私の幹を切って、ボートを作ればいいよ。そうすれば、船出できるから、そうすれば幸せになれるよ・・・ 」 と言いました。

    彼は木を根元から切り倒しました。


それで木は幸せでした。・・・・・・でも・・・本当はそうではありませんでした・・・・・・・・。
          


長い年月が流れ、彼が帰って来ました。

木は 「 ごめんね、ぼうや、もうあげられるものは何にもないの・・・・。 」 と言いました。

「 りんごは、もう無いの。 」  「もう歯が弱くて、りんごはかじれないよ。」
「 遊べる枝も無いの。 」    「僕はもう歳をとりすぎて、枝をゆすって遊べないよ。」
「 幹も無いのよ。」        「僕は疲れすぎて、もう、木には登れないよ。」

「もう何にも無い。私はただの、古い切り株になってしまった。 」 と木はいいました。

「僕はもう何も欲しいモノはない。ただ、座って休める静かな場所があれば・・・。」
      



「 それなら、私に座ればいい。古い切り株は座って休むのには丁度いいわ おいで、ぼうや座って、休んで。」

そして、ボートを作って、遠くへ行ってしまいました。

彼は言われるままに、座りました。・・・・・・・・・ それで木は幸せでした。



                                                                                                    the giving tree /  by  Shel Silverstein

※ 日本語では「木」と訳されていますが、原書は「her = 彼女」と女性名詞になっています。




終始、利己的な少年と自己犠牲を厭わない献身的な木・・・・・。

頭の中はすでに一人禅問答を繰り返す。

無償の愛  不朽の愛  アガぺの精神。 それとも、依存度の強い歪んだ愛なのか。

宗教的な思想による愛  不埒な愛 ・・・・・・ 「愛」の形態は様々。

双方で成立してれば、例え背徳的な愛であってもいいという事か?

見え方は多様だが、これはどちらであっても私には出来ない。自我が邪魔をするし、例えこれが「親子」の間であっても躊躇や戸惑いが生じるかもしれない。それが未だ「親」の立場にない今の私の正直な答え。

これは明晰を欠くかもしれないが、愛する人間に「命」を捧げる事は厭わないと誓える。その理由はその後の余生が確定的に消滅するから。
しかし、「腕」や「足」、「目」や「耳」となると自信がない。どうしても、その後があるが故に自分を顧みてしまう。

この絵本はそんな途方もない事を考えさせられる絵本。そんな絵本を読んで、コレを書いている時に
何故かこんな曲がふと頭に浮かんで離れなかった。


                椎名林檎 /  おだいじに    


 

World's End Girlfriend : Scorpius Circus

2008年10月08日 20:00

                                               人間の無窮な想像力に限界はない。 


                                            匂いや香りひとつであり得もしない妄想を描けたり、
                                                過去にトリップする事すら可能になる世界。

                                            「音」ひとつとっても終脳を介して音色を映像化し、
                                               そのイメージを持って幻想の旅へ出かける。


                                            今日、紹介する WORLD'S END GIRLFRIEND は、
                                               即効性と中毒性を併せ持つ音楽家の一人。

                                                       光 ⇄ 闇
                                                       生 ⇄ 死
                                                       静 ⇄ 動

                                               極端に相対するモノが混淆する世界

                    全てが調和に至らないからこそ聴き応えがあるし、なにより生き応えがある様に思う。
  

                  

キングオブコント2008 -期待とその反動-

2008年10月07日 00:00


「期待とその反動」

コント番組世代の私としては、ココ最近のバラエティーの在り方には正直「?」がついていた。
なにかと言えば「悪影響」「卑猥」「もったいない」などと頭のカチカチな大人が「笑い」を吸い取る時代になっている。
そんな時代に純粋なコント番組などは数少なく、見れるのは舞台の上だけとなった。(勿論、制作費の問題、作家さんの確保等ある)それだけに今回の「キングオブコント 2008」は芸人さんの珠玉のコントが見れるとかなりの期待値を上げて見ていた。 が、正直残るは後味の悪さだけとなった。

やはり、議論の対象になるのは、「審査のシステム」にある様に思う。
最初に断っておくと、私の中では順位事体はどうでもよい。別に見てる側の私としてはネタに優劣をつけて楽しむ事はない。競い合うという緊張感はこの番組の主旨としては重要なのかも知れないが、正直、そこに興味はない。
だが、番組の主旨だけを取ってみれば、やはり審査方法に幾つかの疑問が残る。

               なぜに試技者(対戦者)同士が自己審査するのか?
           
                 決選投票が無記名投票(匿名)ではないのか?

結果だけを切り取ってみれば、詮索や疑念を抱かれてもおかしくはない様に思う。
この様なシステムに至った経緯に、現役の芸人が現場にて評価を下す事でよりリアルな審査が出来るのではないかというある意味革命的で今までに無いスタイルを提唱したかったとは思うが、あれほど露骨にピンボケに写ってしまうとシステム自体をもう一度見直す必要があるのではないかと思う。
なんせこれだけ疑問視する声が多ければ、試技する演者自身も少なからず影響がある様に思うし、そもそも、誰もが損をした様な気分になる。


「笑いは主観」

演者のネタに優劣をつけたがる素人が多くみられる。それだけで止まっていればよいのだが、その独りよがりな独創は対象者のブログや制作に携わる人間にまであまりに稚拙な表現で異見する輩が存在している。
それぞれ個々に性癖が存在する様に、笑いにも笑感帯(ツボ)があり、全ては主観や体感にて決まる。勝ったバッファロー吾郎が面白いと感じる人も存在すれば、あと一歩だったバナナマンが良かったと思う人もいるだろう。勿論、その他の芸人が誰よりも良かったと思う人もいて当然の事。
その冷えきった論争にはっきりとした正解はない。ましてはどれだけ論じたところで終着もない。


健全な子相撲と不埒な大相撲  「大相撲問題」

2008年10月01日 00:00

Kunisada_Sumo_Triptychon_c1860s 

















「神事」

相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、沖縄地方をはじめ日本各地で「祭り」として「奉納相撲」がその地域住民により、現在も行われている。健康と力に恵まれた男性が神前にてその力を捧げ、神々に敬意と感謝を示す行為である。そのため礼儀作法が非常に重視されている。従って、力士はまわし以外は身につけない。その名残は現代の興行形式である大相撲にも見られる。(wiki調べ)


物事に白黒をつける際、又は単純にどちらかの力関係をはっきりさせたいときなどに相撲という手段を用いて決着をつけていた小学校時代を思い出す。まぁ、当たり前だが、懸賞も発生しないし、お客も存在しない、勿論、清めの塩は撒くジェスチャーのみ。でも、ガチンコで相手にぶつかっていく事においてはテレビで見る相撲と同じ事。そこにはガキしか存在しないが、そんなガキでも確固たる「不文律」の上で勝負をしている。

     「砂を投げてはいけない」 「丸腰で戦う」 「如何なる事があろうと先生や親に言わない」


昨今の相撲を取り巻く歪みには、正直どれが真偽かと錯覚を起こさせるほどに堕落しているのが現状。
子供ですらその是非を理解出来る様な事を「神事」に仕える者が理解できずにいる。
「かわいがり」と称し、極めて理不尽な暴行を働き、前途ある若者の命を奪った挙句、遺族に報告もなく火葬してしまう世界が「神事」か?全国唯一の公益法人であり、文部科学省所管の財団法人の相撲協会の「神事」とやらを国営放送でヌケヌケと放送し、収益を生み運営している事次第が異常だと思う。

好角家であり、ノンゲリラ的( 定期的 ) に相撲布教活動( 健全なミサ ) に勤しむデーモン閣下先生のコメントを載せておきます。

拝啓 北の湖様。あなたや輪島さん、貴ノ花さん。新理事長の三重ノ海さんらの現役時代の相撲に、当時世を忍ぶ仮の小学生~中学生だった吾輩は毎場所・毎日一喜一憂して、そのうちに相撲にどっぷりと興味をそそられて、自分でも相撲を毎日取るようになって、膝や肘に擦り傷を作って、色々な書物を読みあさって、色々なところに足を運んで、学園祭で相撲の研究発表をして、他人よりも少しばかり詳しくなって…そして今日各所からコメントを求められる立場の自分があります。明朝掲載されるようなコメントを新聞に寄せなければならない本日が、自己嫌悪に陥るくらいに大変に残念です。

もしもこの文章を読んでいる大相撲協会の関係者がいるならば、何が何でも心してもらいたい。あなたの現役時代にあなたの相撲を見ていたファンは、あなたが指導者としてどんな手腕をふるってくれるのか、ということにも大変に期待をしているのだ、と。全員が一丸となって命がけで相撲界を建て直す志しを見せてくれなければ許さないぞというファンが多くいることを、何が何でも心してもらいたい。 


                                                    デーモン小暮




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